赤岩宿の歴史は古く、かつては利根川を利用した河川交通の要所として、渡船場を中心に繁栄しました。
協働のまちづくり団体「赤岩宿と赤岩河岸の調査の会」による研究を基に、宿場町として栄えた当時の姿の一端をご紹介します。
≫古墳時代
・古墳が散在(赤岩桜山古墳群)
・主な古墳として赤岩堂山古墳、米山薬師古墳などがある。
≫中世
・平安末期から佐貫の荘の一部として荘園であった。
・利根川の伏流水に恵まれた住みやすい地域であるため、物資の運輸、人の移動に重要な地点となる。
≫江戸時代
・江戸の繁栄に伴い、赤岩河岸は年貢米や生活必需品などの輸送により、赤岩宿も賑わいを見せる。
・船頭、船大工、大工、鍛冶屋のほか、飲食店、宿泊施設、魚、青果、菓子など生活必需品の店が立ち並ぶ。
≫明治時代初期
・従来の交易に加えて絹製品の輸送の一地点としても繁栄したが、鉄道(高崎線)の敷設などにより河岸としての役割が縮小する。
≫大正時代
・館林、太田、大泉方面へのバスの運行が始まり、近郊の生活の中心として繁栄する。
≫昭和40年代
・店舗数が130軒を超える賑わいとなる。
・街並みは、衣・食・住に関する店のほか、役場、病院、郵便局などの公共施設も立地
・かぶと屋、大和屋、大黒屋、恵比寿屋、常盤屋、門前など、屋号のある家が30軒以上存在
※東海道や中山道の宿場にも屋号のある店が多数あり、赤岩宿も重要な地点であったことや、在りし日の繁栄を偲ばせる。
≫昭和50年代
・モータリゼーション、近隣地域への大型・中型店舗の進出、核家族化、後継者不足などの理由により、徐々に赤岩宿の衰退が始まる。
・商店街には駐車スペースの無い商店が多いことも商店数減少の要因のひとつとなる。
・町内の別の場所(商店街の北側の地域(役場新庁舎周辺)等)に移る商店が増加
≫平成時代
・商店の廃業・移転等に伴い徐々に店舗数が減り、商店街としての機能が弱体化
≫令和(現在)
・現在は10店舗ほどに店舗数が減少
令和3年4月、「赤岩宿と赤岩河岸の調査の会」が千代田町協働のまちづくり事業の助成金を活用し、昭和30年代~昭和50年代頃の赤岩宿の街並みが分かる地図(下図参照)を制作しました。
当地図は、赤岩渡船場の常夜灯脇に「看板」として設置されています。また、赤岩1区及び赤岩2区の公民館にも掲示してあります。ご興味ある方はぜひ現地にて看板をご覧ください。
赤岩宿の商店街の地図(PDF/713KB)
宿の最盛期は、館林や太田へのバス交通が盛んになり、近郊の中心地として、130軒を超える店が並び、衣・食・住など様々な業種により、一つの生活圏を形成していた。
【表①】昭和30年~50年頃の赤岩宿の店舗数
大項目 | 中項目 | 小項目 | |||
区分 | 軒数 | 区分 | 軒数 | 区分 | 軒数 |
衣 | 26 | 服・布団 | 15 | 洋品店・仕立屋 | 12 |
クリーニング | 1 | ||||
綿屋 | 2 | ||||
履物 | 4 | 靴屋 | 2 | ||
下駄屋 | 2 | ||||
頭髪・化粧品 | 7 | 理容院 | 3 | ||
美容院 | 2 | ||||
化粧品 | 2 | ||||
食 | 38 | 小売・製造 | 26 | 鮮魚・生花・乾物 | 7 |
豆腐屋・製麺 | 3 | ||||
製菓・せんべい | 4 | ||||
駄菓子屋 | 5 | ||||
精米所・肉加工・販売 | 4 | ||||
牛乳・乳酸菌飲料 | 2 | ||||
酒造 | 1 | ||||
飲食 | 12 | 飲食店・寿司 | 7 | ||
ラーメン・焼きそば | 2 | ||||
割烹・旅館 | 1 | ||||
タバコ屋 | 2 | ||||
住 | 39 | 日用品 | 7 | 日用品・雑貨・燃料・学用品 | 7 |
家屋 | 22 | 大工・看板・塗装 | 10 | ||
建具・家具・畳 | 7 | ||||
桶屋・籠・甕屋・板金 | 5 | ||||
電気・時計 | 4 | 電気商会・時計 | 4 | ||
その他 | 6 | 石材・鍛冶・彫金 | 5 | ||
風呂屋 | 1 | ||||
その他 | 27 | 車両・輸送 | 6 | 自転車 | 2 |
自動車・オートバイ | 2 | ||||
運送・馬車 | 2 | ||||
娯楽 | 6 | 映画館 | 1 | ||
ダンスホール | 1 | ||||
紙芝居 | 2 | ||||
パチンコ | 2 | ||||
医療 | 6 | 医院・歯科・薬局 | 3 | ||
接骨院・もみ | 3 | ||||
その他 | 9 | 新聞店 | 3 | ||
質 | 1 | ||||
農機具 | 2 | ||||
船頭 | 3 | ||||
合計 | 130 |
※「赤岩宿と赤岩河岸の調査の会」調べ
(1)恵まれた自然環境
利根川を水源とした農業や川魚漁業、また、松林の多い鞍掛丘陵(現在は工業団地)の材木や自然に恵まれ、昔から村落が存在していた。
(2)利根川の伏流水による豊富な地下水
各家庭に井戸があり、美味しい飲料水が豊富。良質な地下水の恩恵により、かつては酒造店が2軒あった(光東,仁泉の2銘柄。現在は光東の山川酒造のみ)。
(3)赤岩河岸の存在
赤岩の定船場は江戸時代には坂東十六渡津の一つに定められた水運の拠点で、武州(現在の埼玉県)との人的交流や、利根川を経由した西上州及び江戸への物流が盛んに行われた。多くの水運関係者で賑わい、宿泊業、飲食店、衣食住の生活必需品のお店も繁盛した。
(4)近郊の村々の中心地としての存在
生活圏として充実した商店街で、在りし日は「お町」と呼ばれるなど、近郊からバスや自転車で訪れる買い物客で大いに賑わった。
【表②】赤岩の主な行事
※「赤岩宿と赤岩河岸の調査の会」による取りまとめを基に掲載しています。
▼団体名
「赤岩宿と赤岩河岸の調査の会」(協働のまちづくり団体)
▼活動内容
赤岩宿及び赤岩河岸の研究及びPR
▼会員数
5名
※当ページは、協働のまちづくり団体「赤岩宿と赤岩河岸の調査の会」の協力により、編集・構成しております。
・赤岩渡船(内部リンク)
・千代田の祭 川せがき(内部リンク)
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